平和・憲法・人権」カテゴリーアーカイブ

終戦から70年目の2015年8月15日

終戦から70年目の今日、ふたたび戦争を繰り返さない宮城のつどいに参加。平和・民主・革新の日本をめざす宮城の会(宮城・革新懇)が主催です。沖縄大学客員教授の小林武氏を招いての「日本の未来を拓くオール沖縄のたたかいー安倍「戦争」政治に未来はない」と題した講演に学びを深めました。

戦後70年の安倍談話は「侵略の言葉を使って、侵略を否定する談話」との分析。沖縄本島東海岸うるま市沖に米軍ヘリが墜落した事件で、「研修」という名目で情報隠ぺいがされる問題がある。実態はまさに特殊任務の訓練そのものであり、戦争する国づくりを先取りしたものに他ならない。

沖縄戦の悲惨を強いられた人々が求めた本土復帰は、平和憲法を獲得し生きることであり、オール沖縄の闘いが日本国憲法の示す平和な国のあり方を示すものとの内容に、あらためて沖縄の闘いと連帯することの大切さと勇気をいただきました。 今日も暑い日差しが照りつける中でしたが、「戦争反対!」「基地はいらない!」と元気に訴えて歩きました。

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夏休みをいただきました。

12日と13日は夏休みをいただきました。家族で鳴子温泉に泊まり、伊豆沼のはす祭り、登米市の古い町並みと歴史建造物を眺め、高倉勝子美術館へ。温泉につかり、野菜と魚中心の美味しい料理に舌鼓。伊豆沼一面に咲き誇るはすの花に魅了されて、心も体もリフレッシュできました!

その足で、登米市の高倉勝子美術館へ。登米町出身の日本画家である高倉勝子先生が、94歳で今年7月に他界されました。戦後70年にむけて渾身の力をこめた広島原爆被爆の体験をまとめた「青空晴れて」の画集と「原爆の図」に涙がこみあげました。

高倉勝子先生は、私が長町病院に勤務していた当時、被爆者外来でお世話になっていました。「いつも被爆の後遺症が恐ろしい」と話されていたことを思い出します。病院を退職し、議員になったばかりの頃、街頭演説をしていると、「がんばってね」と気さくに声をかけてくださる方でした。戦争も原爆も絶対にダメ・・戦争する国に突き進もうとする安倍自公政権はNO!と声を上げ続けます。

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まさに時間との勝負です!

市議選告示日まで、あと3日。時間との勝負になってきました・・JR太子堂駅前の朝宣伝後、相談者と一緒に区役所へ。その後は今期最後の市議会健康福祉常任委員会でした。私は障害者差別解消のための条例について質疑。スケジュールありきでなく、市民や企業内での理解を広げ、議論をもっと深めることや、実効性ある条例になるよう財源措置と市の責務を強く求めました。

議会の後は、急いで地域へ。夕方、生協長町店、生協柳生店、中田ヤマザワ、袋原ウジエスーパーと4か所で戦争法廃案と市政政策の訴えです!その後も8時近くまで訪問対話でがんばっています。

戦争法案廃案めざす宣伝行動

戦争法案廃案めざす宣伝行動

核兵器廃絶と平和への誓い

午前中は、宮城県原爆死没者追悼平和式典に参列し、心からの哀悼の意を捧げました。

1945年8月6日広島で、8月9日長崎で原子爆弾が投下され、一瞬にして20数万の市民の命が奪われました。あれから70年目の夏がきました。被爆者の方々は白血病や癌などと闘いながら、三度原爆の被害を繰り返してはならないと、平和と核兵器廃絶を訴え続けています。

私も長町病院で保健師として働き、被爆者の方々の健康診断を担当させていただきました。今、多くの被爆者の方々は80歳を過ぎていますが、命の限り訴え続ける姿に接して、安倍政権の進める戦争への道にストップをかけることが、私たちの世代の責任だと強く感じています。

「核や武力で脅して自分の国を守るのではなく、話し合えばよい。今の私たちにできることは平和の大切さや命の重さを知ること。戦争、核兵器の恐ろしさの世界の人々に伝えること」と訴えた八木山中学校1年生の小野寺さんの平和宣言、泉館山高校の生徒さんの詩の朗読が胸をうちました。

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戦争法案の衆議院特別委員会での採決強行!断じて許さない

緊迫する国会情勢。朝から街頭、戦争法案廃案への訴え。12時にみずほ前で緊急宣伝。途中で、衆議院特別委員会で強行採決の知らせが・・怒りに震えます。

午後、茂庭台地域を訪問すると、みなさん一様に「安倍政権はひどすぎる!国民がこんなに反対しているのに、民主主義国家と言えない」と。ある方は、「悔しくて、悔しくて」と涙を流していました。夕方は長町での、ストップ戦争法案!の抗議集会とデモに参加し、声をあげました。フェイスブックやツイッターなどの情報をみて、はじめて夜の集会に参加した高校生や若者の発言、胸をうちます。「戦争はいやだから。強行採決のことを知って、いてもたってもいられない!」と。

闘いは終わりではありません!これから、もっともっと戦争反対の世論と運動を強める決意をした2015年7月15日です。

安倍政治を許さない

安倍政治を許さない

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仙台大空襲・・70年前の7月10日のこと

70年前の7月10日未明、B29の大軍が仙台を襲いました。わずか2時間あまりで中心部は焦土と化し、数多くの市民が殺されたのです。・・今日は仙台大空襲の日。午前、午後と八本松や郡山地域を訪問すると、みなさんが口々に凄惨な戦争体験を話してくださいました。

「造幣局に勤務。焼夷弾とB29が襲い、多くの人たちが逃げまどう。防空壕に逃げ込んだ人も命を失った。ゴロゴロ転がる焼け焦げの死体。街がなくなった。着るものも食べるものも、何もない。この苦しみは、とても言葉には表せない。子どもや孫にこんな思いをさせたくない」と90代の女性。

「満州から引きあげてきて、仙台駅からみた風景が今も目に焼き付いて離れない。駅から西公園まで見渡せるくらい、一面焼け野原で、茫然とした」と80代の女性。

戦争は人殺しだ。安全な戦争など、どこにもない。安倍自公政権が、憲法9条を投げ捨て戦争する国に突き進もうとしていることを、何としても止めて!戦争体験をされた方々の心からの叫びです。また、ある70代の方は「安倍自公政権は、戦後の平和憲法を踏みにじっている。自分のこれまでの人生をすべて否定されているような気持ちだ」と話されていました。戦争法案は絶対に、廃案にと、呼びかけ歩いた7月10日でした。

(写真は、あるお宅の庭に咲いていた花。特攻花と呼ばれています。特攻隊員の若い命が無残にも奪われ、基地周辺にはこの花が群生していた。)

特攻花

特攻花

 

 

 

民主主義のパワーステーション(発電所)に!

いよいよ、仙台市議選告示日まで17日と迫りました。戦争法案を廃案に追いむ緊迫した情勢の中での選挙です。4日はふなやま由美事務所びらき、5日は、紙智子参議院議員の応援をうけ、たいはっくるで、演説会が開催されました。多くの方々に参加いただきました~!ありがとうございます。

町内会長さんや地元西中田のクリスチャンの男性、あすと長町仮設住宅の元自治会長さん、弁護士さん、青年、女性など幅広い方々から、政治を変えようという思いと平和の訴えが続きました。

「ふなやま由美さんは民主主義のパワーステーション(発電所!)」「今こそ、日本共産党出番のとき。絶対勝利して!」と応援の言葉をいただき、胸が熱くなりました。なんとしても、戦争法案廃案と、命が大事にされる政治実現のために、全力で奮闘します!

事務所びらきで決意表明

戦争法案に反対し、徹底審議を求める市民の請願に、自民党・公明党・旧みんなの党(輝く仙台)が反対!

みやぎ憲法9条の会からの安全保障関連法案の徹底審議を求める請願は共産党、社民党の全員が紹介議員になりました。花木のりあき議員が、国会会期延長の暴挙を厳しく批判しながら、「憲法違反の戦争法案は反対が、国民の声。安倍政権の主張はすでに論理破たんしている。地方議会が今、市民の声を取り上げ国会に意見を上げるべき」と明快な討論。 採決では共産党、社民党の議員全員と、民主党系の会派の議員が賛成(一部議員は反対)しましたが、残念ながら請願は否決です。

自民党・公明党・旧みんなの党の会派の態度は、戦争法案を推進する立場です。世論と運動をもっともっと広げなくては!・・戦争法案を廃案にするために、そして来月の仙台市議選でなんとしても勝利を勝ち取るために、がんばります!

戦争反対を訴える!

戦争反対を訴える!

 

 

平和憲法まもれ!戦争法案は許さない!

今期、最後の議会は、「戦争法案」をめぐる緊迫した情勢の中、開かれています。安倍政権は24日までだった国会会期を95日間も延長するという暴挙にでました。何が何でも強行したいとの狙いですが、そうはさせません!

昨日は、戦争法案をゆるさない6.24ワンデーアクションが開かれ、朝から晩まで、戦争反対!の訴えが響きました。私も、議会の健康福祉常任委員会終了後、急いで駆けつけました!

平和のうたごえのみなさんの歌をバックに署名とチラシまきをしたのは、はじめての体験です。「青い空は~青いままで~」「沖縄を返せ~」と反戦・平和の歌声が力強く、国民のたたかいを勇気づけます。シール投票では、戦争法は「反対」が圧倒的多数でした!強行はゆるさない。廃案にさせる!

戦争法案廃案に!

戦争法案廃案に!

2015/ 6/24 17:43

2015/ 6/24 17:43

70年前の夏

昨日のお昼に「女の平和ピースアクションみやぎ」の行動に参加していたとき。一人の白髪の女性が話しかけてきました。「あなたは70年前の夏。仙台市内がどうだったのか、知っているの?」と。70年前の1945年7月10日に仙台大空襲が襲い、多くの人々が、逃げまどい、命を奪われ、まち全部が焦土と化したのです。

私が「すみません。私は戦争体験をしていないのです。写真でしか知りません。教えていただけますか?」と言うと、その女性は、自分の体験を、堰を切ったように話し続けました。火の海、怒声、歎き・・恐ろしい体験は何年たっても忘れられないと。そして、今、またあのような時代に日本が突き進もうとしていることが、本当に怖いとも。

「戦争はダメ。この思いを多くの人に知らせて。」と最後にかけられた言葉の重みを感じます。今だから、過去の事実をもっと深くつかまなければと思っています。

仙台大空襲から70年目。戦災復興展が開催されます(7月3日から12日まで、戦災復興記念会館で演劇や戦争体験を語る会、朗読など様々な取り組みが企画されています)

戦災復興展

戦災復興展